面影画60


8月16日の面影画は佐藤祥子さん




描いた人 森岡秀二さん 五十二歳 父                         

 秀二さんはヤンマー高田支店の支店長だった。農機具の販売をしていた。家は水沢で、単身赴
任で働いていた。高田には一年前に来た。その前は水沢→北上→水沢と転勤が続き、北上を立て
直した実績を評価されて、高田に支店長として赴任した。                 

 奥さんは睦子さん。睦子さん二十四歳、秀二さん二十五歳で結婚した。子供は、長女、長男、
次男の三人に恵まれた。子供たちに言わせると、やさしい父さんで、酔うと落ち着きがなくなる
「ふにゃふにゃ動く」お父さんだったらしい。飲む時以外は静かな人だった。        
「こう見えても、若い頃はバイクに乗って、ならしたもんだ・・」という父の昔話を、子供たち
はよく聞かされた。                                  

 普段は単身で高田で働き、週末に水沢の家に帰ってくる生活だった。           
 三月十日、たまたま用事があって家に帰ってきた。ナビが欲しいという子供の願いで、ナビを
届けに来たのだ。約束を守る父だった。                         
 用事を済ませると、そのまますぐに帰った。「雪が降ると途中の山道が大変なことになるから
・・」と言って高田に向う姿が、家族が見た最後の姿だった。               

 三月十一日、秀二さんは高田支店で働いていた。                    
 大きな地震があった。秀二さんはすぐに所員全員の安否の確認をする。安否の確認が出来たと
ころで、避難の行動に移る。津波警報が出ていた。支所を車で出て、渋滞にはまってしまったと
ころまで目撃者がいる。三人一緒に逃げたという話を聞いている。             

 そして、高田の街全体を呑み込んでしまう津波が襲ってきた。支所は高田高校の近くにあった
。車は、避難所だった市民体育館に向かっていたはずだと子供たちは言う。         
 津波は、その市民体育館ごと押し流し、避難所にいた人の多くが流された。        

 秀二さんは「薮屋の向かい」で発見された。山に近い所で、瓦礫の中から発見された。車はま
だ見つかっていない。                                 

 絵の依頼は、長女の祥子さんと長男の貴祥(たかよし)さん、次男の貴紀(よしのり)さんが
来られた。水沢から一時間半かけて、亡き父の面影画を依頼に。              
 絵のリクエストは父と母を並んで描いて欲しいというもの。亡くなった人と存命中の人を一緒
に描くのは嫌がる人もいるが、三人は「ぜひお願いします・・」ということで引き受けた。秀二
さんの面影をしっかりと画用紙に定着させたい。                     

 この絵が三人の子供たち、二人の孫たちに、秀二さんを思い出してもらえるきっかけになって
くれれば嬉しい。                                   

 祥子さん、貴祥さん、貴紀さんにおくる、やさしかったお父さんの記録。         
 秀二さんのご冥福をお祈り致します。                         



 8月16日の面影画は佐藤祥子さん。                         

 津波で亡くなられたお父さんを描かせていただいた。                  

 水沢から一時間半かけて依頼に来られた祥子さん。弟さんお二人と息子さんも一緒に来られた
。高田に単身赴任で被災されたお父さんの話を淡々としてくれた。             

 二人だけで並んだ写真が一枚もない、ということでお母さんと並んで笑っている絵をリクエス
ト。存命中の人と一緒に描くのは嫌がる人もいるので確認すると、三人が「是非・・」というこ
とで、並んだご夫婦を描かせていただいた。                       

 この絵を見ながら、みんなでお父さんを思い出してくれたら嬉しい。           

弟さん二人と一緒に依頼に来られた祥子さん。そっくりだと喜んでくれた。 まだまだ暑い日が続いているが、萩の花が咲き出した。