面影画57


8月13日の面影画は斉藤美津子さん




描いた人 斉藤康雄さん 六十二歳 夫                        

 康雄さんはトラック運転手だった。大型トラックの長距離輸送が主な仕事だった。康雄さん
が二十六歳の時に、二十三歳だった美津子さんと結婚した。以来、ずっとトラック運転手をし
ていた。美津子さんは一緒にトラックに乗って、熊本まで行ったこともある。       
 子供は二人の女の子に恵まれた。やさしくて、子煩悩で、真面目な人だった。      

 縁があって埼玉県の川口に三十年くらい住んでいた。おばあさんが高齢になり、二十八年前
に高田に帰って来た。実家の主人が出稼ぎで墓の手入れが出来ない時など、率先して掃除をし
たりしてくれた。実家では「本当にいい婿が来てくれて・・」といつも言われていた。   
 家は高田と大船渡の間の梅神(ばいしん)地区にあった。               

 休みの日は釣りが好きでよく出かけた。碁石海岸でアイナメやアジやチカをよく釣って帰っ
て来たものだった。下の娘がお父さん子で、釣りにも一緒に出かけた。          
 下の子は大型トラックに乗っているお父さんが大好きだった。「あたしもお父さんのような
トラックに乗りたい!」と大型免許を取って、トラックに乗るようになった。どこに行くには
どの道を走ればいいのか、とか父親と楽しそうに話す娘だった。             

 康雄さんは今年一年働けば、定年となり、あとは孫たちと遊べると楽しみにしていた。しか
し、今度の津波でその夢が叶うことはなくなってしまった。               

 三月十一日、康雄さんは、前週一度も帰らずトラックを走らせていて、ちょうど会社に戻っ
た日だった。ローテーションでは帰る日ではなかったのだが、その日はたまたま帰っていた。
 地震があった時は会社にいた。みんなと一旦逃げたのだが、第一波の津波が会社の近くまで
来たのを見て、トラックを移動させようとして、またトラックに戻った。         
 エンジンをかけ、方向転換をしていた時に第二波の巨大な津波に襲われた。会社はさかり川
のすぐ近くにあった。津波は川沿いに濁流になって押し寄せ、何もかも流してしまった。  

 康雄さんのトラックは方向転換されていたが、ボンネットのガラスが割れて大きな穴が空い
ていた。康雄さんはその穴から外に投げ出されてしまったようだ。            
 川沿いの引き波はものすごい勢いで海に戻る。康雄さんの遺体はまだ発見されていない。 

 美津子さんは「車のハンドルにしがみついて助かった人もいるので、もっと強くハンドルに
つかまっていればとか、シートベルトをしていればとか、つい考えてしまうんですよ・・・仕
方のないことなんですけど・・・」と涙ぐむ。                     

 絵のリクエストは仕事で乗っていたトラックの横で、笑っている康雄さんを、というもの。
美津子さんの思いと、子供たちの思いを筆に乗せて描かせていただいた。         

 この絵が、少しでもご家族の心の空白を埋めてくれれば嬉しい。            

 美津子さんにおくる、最愛の夫、康雄さんの生きた記録。               
 康雄さんのご冥福をお祈り致します。                        



 8月13日の面影画は斉藤美津子さん。                       

 津波で亡くなられたご主人を描かせていただいた。                  

 トラック運転手だったご主人を、愛用のトラックと一緒に描いて欲しいというもの。   
 会社で一旦避難しながらも、トラックを取りに戻って被災してしまったご主人。あと一年で
定年を迎え、これから楽しい第二の人生が始まるはずだった。              

 言葉少なに淡々と話してくれた美津子さん。「あの時、もっと強くハンドルにしがみついて
いてくれたら・・」と、最後に言葉が乱れた。                     

 これからも、折に触れて口から出る言葉なのだろうと思う。              

 この絵が美津子さんの痛みを少しでも和らげてくれれば嬉しい。            

友人ご夫婦の絵をご長男に贈りたいというヒナ子さん。 テント横のヤマボウシの実が赤く色づいて、風に揺れている。