面影画53


8月8日の面影画は菅野明美さん




描いた人 菅野嘉朗(よしろう)さん 七十五歳 父                  
     菅野ヒロ子さん 六十八歳 母                       
     ライム 愛犬                               

 嘉朗さんとヒロ子さんは、嘉朗さん三十三歳、ヒロ子さん二十六歳の時に結婚した。七つ違
いの夫婦だった。                                  
 嘉朗さんは気仙大工だった。出稼ぎをしていて、年に数度帰ってくるだけだった。埼玉県新
座市の建設会社に七十三歳まで出稼ぎで働いていた。                  
 釣りが大好きだった嘉朗さん、定年後は家で釣り三昧の日々を送っていた。夏は鮎。真っ黒
になって気仙川の鮎を釣るのが毎日の楽しみだった。                  

 ヒロ子さんは洋裁や和裁をやったり、結婚してからはパーマ屋さんのお手伝いなど、外の仕
事もした。料理が上手で、法事や結婚式の時に呼ばれて料理を作る手伝いをすることが多かっ
た。中でも、のり巻きはよく結婚式で作ったものだった。                
 こうなった今「もったいないなあ、惜しい事をした・・」とみんなに言われている。   

 明美さんが嫁いできてからのヒロ子さんは、台所は何でもやってくれた。仕事から帰ると、
美味しいご飯がいつも出来ていた。                          
「頂きものも何でも、無駄になることなく料理になっちゃうんですよ・・」と、今でもヒロ子
さんの料理の腕を懐かしむ。                             
 家ではどうやら嘉朗さんよりもヒロ子さんの方が強かったようだ。出稼ぎが長かった嘉朗さ
んだったから、定年になってずっと家にいられると、なにかと目障りだったのかもしれない。

 「掃除するから散歩にでも行ってきて!」言われて出かける嘉朗さん。高田の松原が近くだ
ったので、よく散歩に行った。一日に二回も三回も松原を散歩していた。         
 嘉朗さんは、家でお酒を飲むと目が厳しいので、釣りに出かける時にお酒を買った。そして
、釣りをしながら飲むのが好きだった。                        
 いつだったか、鮎釣りに行って、自転車ごと電柱にぶつかって、自転車を押して帰って来た
ことがある。明美さんは「あれは飲み過ぎたんだよね・・」と思い出し笑いする。     

 元気なヒロ子さんと物静かな嘉朗さん。夫婦漫才コンビのような会話を覚えている。   
 出稼ぎから帰った嘉朗さんに「今度は、いつ帰るんだい?」「ばか、今帰ってきたんだろ」
孫にお土産を買って来た嘉朗さんに「おみやげは形のあるもんでなく銭コでいいんだよ・・」
「そりゃあ、おめだけの考えだろ!」                         
アユ釣りから帰って来た嘉朗さんに「ちっちゃい鮎ばっかり釣ってくるんだから!」「だまっ
て焼けばいいんだよ!」「ガス代だって大変なんだから」                
 まるで漫才のボケとツッコミの話を聞いているようだ。こんな楽しい会話が永遠に聞けなく
なってしまった。                                  

 三月十一日、明美さんはいつものように七時半に大船渡の会社に向かった。いつも明美さん
が出かけたあと、二人が起き出して食事するのが常だった。               
 ヒロ子さんは近所のパーマ屋さんで茶飲み話をしていた。そこに大きな地震がきた。あわて
て家に帰るヒロ子さん。貴重品や身の回りのものをまとめて、避難所になっている市民体育館
に向かった。体育館で知り合いと話しているところを見た人がいた。           
 嘉朗さんは自転車で愛犬のライムを乗せて、やはり避難所の市民体育館に向かった。   

 巨大な津波が高田の町を呑み込んだ。避難所の市民体育館も例外ではなかった。避難した人
すべてが津波に呑まれた。                              

 明美さんは大船渡の会社だった。上司の指示で退避した。その晩は何も出来なかった。わず
かにラジオの情報で「高田の町は市庁舎ごと壊滅したようだ・・」という言葉だけだった。 

 ご主人の嘉宏さんはすぐに動いた。若い友人と山を越え、住田町から竹駒に出て、人々が避
難している場所を回った。真っ暗な山道を歩いて、高台の中学校や大きな建物を回った。  
 子供二人の無事を確認した嘉宏さん、次は両親を捜す。                
 夜が開けて一面の惨状に声も出なかったが、周囲が止めるのも聞かず嘉宏さんは見える遺体
の一つ一つを確認して回った。まるで地獄だった。普段親と口をきかない嘉宏さんだが、この
時ばかりは、何かに取り憑かれたように両親を捜して回った。              
 しかし、嘉朗さんとヒロ子さんは見つからなかった。                 

 家の跡地には何もなかった。高田の松原すら何もなかった。              

 まだ嘉朗さんとヒロ子さんは発見されていない。                   
 おととい、菅野家の合同葬儀が行われ、明美さんと嘉宏さんも参加した。まだ遺体は上がっ
ていないが、これをきっかけにしろと言われて、それに従った。「じいちゃん、ばあちゃん、
残念です。心配ばかりかけてすみません。家族みんなで力をあわせてがんばっていきます。今
まで本当にありがとうございました・・」葬儀で二人は泣きながら手を合わせた。本当に大勢
の親族が亡くなった。                                

 絵のリクエストはライムを中心に二人が笑っているところ。嘉朗さんには釣りのベストを着
せて、というもの。笑った写真はないのだが、絵で描かせてもらう。           

 この絵が、残された家族に少しでも、両親(おじいちゃんおばあちゃん)を思い出させてく
れれば嬉しい。                                   

 明美さんにおくる、漫才コンビのようだったご両親の記録。              
 嘉朗さんとヒロ子さんのご冥福をお祈り致します。                  



 8月8日の面影画は菅野明美さん。                         

 津波で亡くなられたご両親と愛犬を描かせていただいた。               

 気仙大工だった、釣りが大好きなお父さん。料理上手だったお母さん。明美さんはこの絵を
ご主人にプレゼントするという。絵には、ご両親から息子へのメッセージが書かれた。   

 ご主人は津波のあと、歩いて山を越え、子供たちの安否を確認した。翌日は地獄のような高
田の町で、見える範囲の遺体をひとりひとり確認して両親を捜した。この現実を淡々と話す明
美さん。家は流されて何もかもなくなった。被災の現実とはこういうものだ。ニュースでは分
からなかった。                                   

 絵を受け取ったときの、明美さんの笑顔に救われた。                 
 また、明日からがんばれそうだ。                          

必死に両親を捜したご主人に送る面影画。依頼主の明美さん。 テントには虫が入り放題。我が物顔で歩き回っている。