面影画50


7月30日の面影画は藤丸秀子さん




描いた人 田中なをみさん 八十二歳 母                       

 なをみさんは一昨年、二回目の脳梗塞になって、足が不自由になってしまった。家ではいつ
も炬燵に入っていて、人が来ると何くれとなく話す事を楽しみにしていた。        
 電話をかけるのが大好きで娘や息子に何かあると電話し、何もなくても電話するような人だ
った。話す事は他愛ないことで「今なにしてるか?、今日は仕事か?、明日何するのか?元気
か?・・などなど、忙しい時に限って電話が来たりするので、子供たちは対応も大変だった。

 なをみさんは自分の事よりも他の人の事をよく心配する人だった。秀子さんは二十歳の時に
嫁いでいったので、特になをみさんが心配していた。若かったし、姑もいた。なをみさんは何
くれとなく心配してくれた。                             
 秀子さんは「わたしが一番心配かけたから・・」と当時を振り返る。特に孫のことは、いつ
も心配していた。「秀子、孫大事にしてけろ」といつも言われていた。          

 誰かが来ると「ほら、上がらっせ、食べらっせ・・」と言い、帰ろうとすると「これさ持っ
てけ、あれさ持ってけ・・」と気を使う。                       
「一人でいるんで、何も出来なくて、もどかしかったんでねえか・・」実家が牡蛎の養殖をや
っていた。その手伝いが出来なくなったことも、もどかしさの一因だっただろう。一日誰とも
話さない日もあったが、そんな日は帰って来た父さん相手に何度も同じ話をして嫌がられたも
のだった。                                     

 息子のお嫁さんがあまり話をしない人だったので、話し相手が欲しかったのだろう。いつも
誰かと話していたい人だった。                            
 子供たちに電話をするのは、なをみさんにとって大事な息抜きだった。何を話すかではなく
て、声を聞いているだけで安心するひとときだった。                  

 三月十一日、なをみさんは家にいた。秀子さんの話だと炬燵かベッドにいたはずだ。父さん
も家にいたが、大きな地震のあと浜の牡蛎養殖の作業場へ急いで行った。そこで息子達と合流
し、津波から逃げる事が出来た。                           
 逃げた高台から、自分の家が津波に流されていくのが見えた。言葉も出なかった。    

 家は小さな沢沿いに建っていた。津波は沢の入り口で膨らんで、一気に家々を呑み込んだ。
大きな引き波の後には何も残っていなかった。                     
 三軒並んでいた家が何もなくなり、三人の行方が分からない。引き波で何もかも海へと流さ
れていってしまった。                                

 秀子さんは七月十六日のテレビでこの「面影画」を見た。すぐに場所を探して依頼に来てく
れた。母の写真を家に飾る事に抵抗があった。嫁ぎ先の親やご主人への気兼ねも多少あったと
いう。                                       
「絵ならずっと一緒にいられる!って直感的に思ったんですよ・・」「今日が本当に待ち遠し
かったんです・・」と、今の気持ちを素直に語ってくれた。               

 秀子さんは二枚の写真を持参してくれた。その一枚は、二年前花巻温泉に行った時のもの。
なをみさんは、この何日か後に二回目の脳梗塞を発症した。体が不自由になる前の写真だ。こ
の写真をもとに、なるべくなをみさんらしい絵を描きたい。               

 写真ではない「絵」の力。写真は毎日見られないけど、絵なら毎日見ても大丈夫。同じ事を
他の人からも言われたことがある。                          
 この絵を見て、秀子さんの心が少しでも明るくなれば嬉しい。             

 秀子さんにおくる、最愛のお母さんの記録。                     
 なおみさんのご冥福をお祈り致します。                       



 7月30日の面影画は藤丸秀子さん。                        

 津波で亡くなられたお母さんを描かせていただいた。                 

 秀子さんは7月16日にNHKで放送されたニュースを見てすぐに依頼に来られた。    

 写真だと飾っておくのに抵抗があったのだが、「絵ならずっと一緒にいられるかも!」と直
感的に思ったという。16日から今日まで、ワクワクしながら待っていたとのこと。    

 責任を感じつつ、おばあちゃんの絵は得意なので順調に描き上げた。          

 この絵が秀子さんの心を少しでも明るくしてくれれば嬉しい。             

これでずっと一緒にいられると、喜んでくれた秀子さん。 千葉ミヤコさんが差し入れてくれた豪華な夕食。美味しかった。