面影画49


7月29日の面影画は松坂功一さん




描いた人 松坂敏雄さん 三十八歳 長男                       

 敏雄さんは市役所の職員だった。教育委員会に所属し、学校の合併などに関する調整をした
り、通学バスの運行などの計画を作っているところだった。               

 敏雄さんはどちらかというと、のんびり型で、競争を好まないタイプだった。小学校の運動
会なんかでも、いつも徒競走は遅かった。                       
 中学に入って、サッカーや野球をやるようになると人並みに足が速い事もわかったが、相変
わらず競うことには無頓着だった。                          

 母の洋子さんは言う「もう、まどろっこしくって、まどろこしくって、イライラすくるくら
いのんびり屋さんだったんです・・」                         
 社員旅行に行ってお土産を買って来ても、出すタイミングが悪いと「まあ、いいや・・」っ
て出さないような子だったという。頼まれると断れない子で、家に来たセールスマンの話を延
々と聞いてしまうような子だった。                          

 高校三年の時に就職活動を団体でやると当時担任だった先生が決めた。のんびりした性格だ
ったので、これが良かった。団体で試験や面接に行くので緊張がなかった。そのお陰で役所に
就職出来たと洋子さんは先生に感謝する。                       
 就職してからの敏雄さん、性格は変わらず几帳面な仕事ぶりだった。私生活では鳴石の役員
をやっていた。真面目な仕事ぶりは、親の心配をよそに周囲から評価されていた。     

 生涯学習の担当をやっていたときのことだった。子供たちをキャンプに連れて行くことにな
り、敏雄さんはカレーライスを自宅で一度自分で作ってから出かけた。何ごとも、事前に確認
しておくことが敏雄さんの流儀だった。                        
 一度だけ「失敗した・・」とこぼした事があった。子供たちを川で遊ばせて、施設のお風呂
を担当者から「お湯を流していいですか?」と聞かれ「いいですよ」と答えた敏雄さん。  
 川から上がった子供たちが「寒い、寒い・・」と震えているのを見て、風呂を落とした事を
悔やんだ。                                     
 「子供たちに寒い思いをさせちゃったよ・・」仕事のことでこぼしたのは、後にも先にもそ
の時だけだった。人の悪口など一度も言ったことがない。                

 功一さんは大工で、出稼ぎが多かった。家にいる時間は短く、敏雄さんと話す時間もなかっ
た。やっと引退して家で落ち着いたのが一年半前だった。「やっと落ち着いて敏雄ともこれか
らいろいろ話せると思っていたんですけどねぇ・・・」                 
 功一さんの思いはかなわず、敏雄さんは三十八歳という若さで帰らぬ人となってしまった。

 三月十一日、その日の敏雄さんは朝早かった。学校の統合などで、通学バスの経路と時刻表
作りのため、二人で朝早くから実際に走って確認するという仕事だった。         
 いつものように茶の間で着替え、出かけて行った。寒かったのでストーブに当っていて、洋
子さんは後ろ姿しか見ていない。                           
 敏雄さん、この仕事は朝のうちに終わり、地震があった時は市民会館の教育委員会で仕事を
していた。地震の後、避難所にもなっている市民会館の点検に走る。           
 会館にいた人を一旦公園に出し、点検を済ませたと聞いた。寒い日だったが、ワイシャツ一
枚で飛び出した敏雄さん。同僚が持って来てくれた自分のジャンパー着たことまでは分かって
いる。                                       

 津波警報が出て、巨大な津波が市民会館を襲う。高田の町は一瞬で黒い波に飲まれた。  

 市職員の六十四名が亡くなった。全職員の三分の一が一瞬で命を落とした。       

 功一さんも洋子さんも誰彼なく敏雄さんの消息を聞いて回った。しかし、敏雄さんはいまだ
行方不明のままだ。生き残った職員の口も重い。地獄のような光景を見てしまった人たちは、
自然にものを語ろうとしなくなる。                          
「生きても地獄、死んでも地獄ってことなんだよね・・・」洋子さんがぽつりと言った。  

 なぜ息子が死ななければならなかったのか、二人には言いたい事が山ほどある。しかし、市
職員という立場で考えれば、率先して人々を助けようとした結果こうなったのだから、仕方な
いのかもしれない・・と自分に言い聞かせる。                     

 三十八歳という若さの長男を失うつらさは、察するに余りある。            

 この絵が少しでも功一さんと洋子さんに、明るい気持ちを届けてくれれば嬉しい。    

 功一さんと洋子さんにおくる、最愛の息子、敏雄さんの生きた記録。          
 敏雄さんのご冥福をお祈りいたします。                       



7月29日の面影画は松坂功一さん。                         

 津波で亡くなられた息子さんを描かせていただいた。                 

 奥さんの洋子さんと来られた功一さん。息子さんの大きな写真を持参してくれた。    
 絵を描いてもらうことで、自分の気持ちにひと区切り付けたいのだという。       

 市職員だった息子さん。水門を閉めにいった消防団員とか、避難所で介護をしていた看護士
さんとか、多くの殉職者が出た今回の津波だった。                   
 職務に忠実だったからこそ命を落としてしまう。                   

 残された人は、自分に言い聞かせる。あの仕事さえしていなかったら。でも、仕事をやり通
したことは立派だった。ただ、運が悪かった。                     
 言い聞かせるが、時として思いは溢れ出す。「なんであの子が・・」          

 絵を受け取りに来た功一さん。大事にしますと喜んでくれた。これが何かのきっかけになり
そうだとのこと。                                  

 やはり、絵が必要な人は多い。                           

これからという息子を亡くし、悲嘆にくれる功一さん。 夕参りの途中でひよに会った。元気そうで良かった。