面影画3


5月21日 陸前高田に行く



 以前、陸前高田市に住んでいた友人がいた。情報収集がてら飲みながらボランティアの話をし
たところ、知人の消息がわかったので、一度近いうちに陸前高田に行くという。       
 そこで、急遽同行させてもらい、現地に行くことにした。                

 五月二十一日、東北道の長者原サービスエリアで朝五時の待ち合わせ。友人二人と合流し、陸
前高田に向かう。一関インターを降りて陸前高田方面に走り、コンビニで朝食を兼ねた休憩を取
った。友人からもらったお握りを食べながら計画書を見せて、協力を依頼する。       
 山を越え、海の匂いがしてきた時だった。風景が一変した。               
 何と表現すればいいのだろうか。一面のガレキが目の前に広がっている。今まで走って来た普
通の風景とまったく異質な風景が広がっている。ヘドロ臭も漂っているが、何より、何もなくな
ってしまった街の跡が生々しい。                            
 友人が以前住んでいた一角に行ってみた。何もなくなっていた。言葉もなく付近をうろつく。
大きな看板の二十メートルはあろうかという高い場所まで鉄板がめくれている。見渡しても見え
るのは柱だけになったコンクリートの建物だけ。三階部分までガレキがかかっている。    
 なんという凶暴な力。テレビではわからない現実の破壊力。三人とも言葉を失っていた。  

津波に襲われた陸前高田の町。何もかもが破壊されていた。 見渡す限り何もなくなっていた。呆然と立ち尽くす。

 しばらくその場で立ちつくしていたが、今日はやらなければならない事があるので車に戻る。
市街地から仮庁舎があるという方向に車を走らせる。途中で「社会福祉協議会・事務所」という
看板を見つけたので立ち寄る。友人二人とここで別れて、一人で交渉に入った。       
 詳しい現地の情報を聞こうとしたら、係の人は一関市の人で、自分には詳しいことはわからな
いという。避難所との連絡は取っているが必要なことを聞くだけで、ボランティア事情まではわ
からないと。「避難所に直接行って交渉してみてもらえませんか・・」と心細い返事。主な避難
所の責任者の名前をメモして、ここから先は自分で交渉することになった。         

 最初に向かったのが高寿園という避難所だった。五月二十一日現在で、四百人を越える被災者
が使用している大きな避難所だ。本来は特別養護老人ホームなのだが、津波被害後、避難所とし
て多くの被災者に使われている。                            
 なかなか場所がわからず、うろうろと走り回ってしまったが、地元の人に聞きながらやっと到
着した。紹介された理事長がおらず、事務主任の佐々木さんが対応してくれた。       

 計画書を出して、いろいろ説明する。佐々木さんは計画書をじっくりと読んでいる。緊張の時
間が過ぎる。佐々木さんの最初の言葉は「こういうボランティアは聞いたことがないけど、面白
いと思いますよ・・」というもの。そして「理事長には私から言っておきます。たぶん、大丈夫
だと思います」と言われた。この時は本当に嬉しかった。                 
 また「予約制ということなので、実際にここに来るときまでに、被災した人達や被災した職員
に聞いて、予約を取っておきます・・」とまで言われた。                 
 手探りでここまで来て、認められて、予約まで取ってもらえる。なんてありがたいことだ。こ
の時の気持ちは、本当に天にも昇る気持ちだった。「これで絵が描ける!」         

面影画を描かせてもらえることになった高寿園。嬉しかった。 自衛隊トラックがある場所にテントを張れることになった。

 しかし、条件もついた。敷地内で活動するため、広報活動は行わないこと。外部の人間が大勢
出入りするのは管理上好ましくないということからだ。そして、予約した人の絵を描き終わった
ら、ここを出て次の場所に移動すること。これも同じ理由からだ。とうぜん、その条件は受け入
れた。だから、広告チラシなどは使えない。完全に口コミだけでやることになった。心配は残る
が、まずは始めることが大事だ。需要がなければ、それはそれで仕方ない。         

 東京に帰ってから、準備が急に具体的になったのは、場所が決まったからだった。場所が決ま
らなければ行くことは出来ない。何も決めずに行ったら、たぶんそのまま帰って来る羽目になる
だろう。現地を見たから、その事はハッキリとわかる。                  
 何もない場所で、何が出来るというのか。避難所のどこに活動場所があるというのか。事前に
契約して、空けておいてもらわなければテントひと張りすら張ることはできない。      

 活動場所が決まるという事からすべては始まった。