面影画16


6月16日の面影画は佐々木伸枝さん




描いた人、佐々木治弥(はるや)さん 80歳 父                   
     トム シャム猫                              
     佐々木トモさん 79歳 母                        
     アル キャバリア                             

 治弥さんは7年前に亡くなっていた。今年ちょうど七回忌だった。           
 津波で何もかも流されてしまい、父の七回忌の遺影をと、伸枝さんは面影画に申し込んだ。

 治弥さんは建築士だった。市役所の建設課で働いていた。仕事は寡黙にやるタイプで、堅実
だった。趣味が多い人で、音楽はクラシックしか聞かなかった。伸枝さんは子供の頃、父の部
屋にアンプがいっぱいあって、何だか知らない機械がたくさんあったことを覚えている。  

 80歳を過ぎてから独学でパソコンをマスターするような人だった。          
 ひとの悪口をいうようなことはなく、もの静かで人と争うようなことのない人だった。  
 とても前向きな人で、伸枝さんがけんかした時なんかも、いつも「そんなマイナスなことを
考えないて、前に向かっていかないと・・」とさとされた。               
 マイナス思考はそちらに引きずられる・・というのが持論だった。何でもプラスに考えて生
きて来た人だった。伸枝さんもその影響を大きく受けている。              

 賭け事も大好きだった。特に競馬。馬券を買うのもそうだったが、治弥さんは分析したり予
想したりするのが好きだった。将棋や麻雀もやった。賭け事のことでは、母ともめたこともあ
るが、理論的で物静かな人だった。                          

 治弥さんが体調を崩す前のことだった。母のトモさんが認知症になってしまった。治弥さん
はそれにショックを受け、かいがいしく介護をした。10歳近く離れている若い母を必死で介
護する父の姿は本当に真剣だった。                          
 治弥さんが体調を崩した時に一番心配したのは母のことだった。母の今後の生活が一番気が
かりだった。                                    

 治弥さんは血液の癌と言われるような難病にかかっていた。血漿板がなくなってしまう病気
だった。しばらく入院生活をしたあと、許可が出て退院することになった。元気な状態で病院
を退院して、自宅に帰ってから容態が急変して亡くなった。               
 認知症の母の事と、やはり病気と闘っていた飼い猫のトムのことを心配していた。    
 治弥さんの思いは「ママ、ノブ、トム、みんな一生懸命生きて欲しい・・」というものだっ
た。                                        


 3月11日、いつも介護施設に通っている母は、休みで家にいた。伸枝さんは高田の松原に
アルと散歩に行くのが日課だった。この日は家の周りをアルと散歩していた。       
 その時、大きな地震が来た。あわてて家に帰って見たが、特に大きな被害はなかった。そう
、どの家も地震の被害自体は少なかったのだ。                     
 伸枝さんは母を車に乗せてアルと一緒に、いつも世話になっている介護施設に向かった。こ
の地震で人が大勢動くようなことになると、車いすの母が一緒だと大変だから、という理由か
らだった。施設には大勢の人が集まって、みんな口々に色々な話をしていた。       
 母を預けた伸枝さんは、家に帰って荷物を持って来なければ・・と、ふと下を見たら、そこ
に津波の水が来ていた。一瞬、何が起きたのか分からなかったという。          

 目の前に広がっていた街がなくなっている。こんな時にもまだ頭の中では「自分の家はどう
やったら帰れるんだろう・・・」と考えていたという。自分の家よりもはるかに高い場所の家
までもが流されているのに、そんな事を考えていた。本当に、目の前で起きていることが実感
出来なかった。                                   

 その日の夕方、みんな青い顔をして途方にくれていた。伸枝さんはその日から三日目くらい
まで、記憶がはっきりしないという。あまりに理解不能な、あまりに理不尽なことだった。現
実と理解するには三日以上かかった。                         
 五日間、外との情報は遮断された。何が起きたのかも分からず、電気も水もなく、ただじっ
と震えているだけだった。                              
 あの時、母を預けにいかなくちゃ、と思わなければ今ここにはいない。地区の避難所だった
公民館は全部流されてしまった。近所の人たちはみんな・・・              

 避難所には様々な人が集まった。家族を亡くした人、津波に追われて逃げた人、目の前で知
人が津波に流された人・・・・伸枝さんは「自分は家族が無事で、家が流されただけだから・
・」と多くを語らない。間違いなく被災しているのに、その事を話そうとしない。     
 避難所では、お互いに当たり障りのない話題に終始する。相手がどんな痛みを持っているの
か知らないと、それ以上の話が出来ない。                       

 伸枝さんは「これから二次災害が出るような気がする・・」と言う。自分は前向きに生きよ
うと思うけど、絶望しているひとだっている。                     
 自分は認知症の母とアルを守らなければという思いで、前向きに生きると決めているけど、
そうでない人だっている。仮設住宅に入ってからの方がその問題は大きくなるだろうという。

 本当にそう思う。                                 
 仮設住宅に入ってからの方が、厳しい現実と向き合わなければならなくなる。      

 いろいろ話してくれた伸枝さんにおくる、前向きなお父さんの記録。          



 6月16日の面影画は佐々木伸枝さん。                       

 津波で家を流されてしまい、七回忌のお父さんの為に面影画を描いて欲しいと足を運んでく
れた。いろいろな話を聞かせてもらった。                       

 絵のリクエストは、愛犬のアルと認知症で伸枝さんが介護している母のトモさんを、天国の
お父さんと飼い猫だったトムが見下ろしているように描いて欲しい、というもの。     
 リクエストがかなり多かった。                           

 お父さんの写真も携帯で撮ったボンヤリしたもので、トムに至っては写真もない状態。  
 それを絵にするのだから神経を使った。なんとか仕上げた絵は「よく似てる、トムもそっく
り!」と喜んでもらえた。やれやれと胸をなで下ろした。                

元気に動き回るアル。写真も撮らせてくれない。 家を無くし、病気の母を看護する日々の伸枝さん。