面影画15


6月14日の面影画は佐々木勤子(いそこ)さん




描いた人 佐々木一男さん 82歳 義父                     
     佐々木シゲヨさん 74歳 義母                    

 勤子さんはご主人のご両親と二世帯住宅に住んでいた。              
 二世帯住宅といっても二棟の家をドア一つで行き来出来るようにした二世帯住宅で、お
互いのプライバシーは完全に守られていた。                    
 孫の世話をしたいご両親と、仕事で家を空けることの多かった勤子さんの双方が満足出
来る理想的なスタイルだった。生活時間の違う両家の間を、若菜ちゃんと塁君はドア一つ
でどちらにも行き来して生活していた。                      

 一男さんは若い頃から職人で、この地方に多い出稼ぎ職人として左官などの仕事をして
いた。一男さんは体があまり丈夫ではなかった。東京で働いている時に具合が悪くなった
ことがあり、息子の敏行さんが迎えに行ったようなこともあった。          
 何度も死にそうになったが、弱いなりに体を養生し、最後まで食事も出来たし、トイレ
も自分で行っていた。                              

 シゲヨさんは料理上手だった。お弁当屋さんとかおそば屋さんで働いていたこともある
が、魚料理や蕎麦などは本当に美味しかった。特に魚料理は得意料理だった。     
 甲状腺を患ってから太ってしまったが、血圧が高いくらいで、体は丈夫だった。家族で
温泉旅行に行くときもシゲヨさんは一緒に行く事が多かった。一男さんは車酔いをするの
で、一緒に出かける事は少なかった。                       

 二世帯住宅に住む事は二人にとって、とても良い作用をした。一男さんは体調がすぐれ
ないと、すぐ寝てしまい、一時は寝たきりのような状態になったことがあった。デイサー
ビスに通うようになって動くようになったが、二世帯住宅で孫と暮らすようになって激変
した。                                     
 娘の若菜ちゃんが生まれると、シゲヨさんは忙しくなった。両親がいないときは、もっ
ぱらシゲヨさんが若菜ちゃんの相手をした。若菜ちゃんもおばあちゃん子で、何でも一緒
にやりたがった。シゲヨさん手塩にかけて若菜ちゃんを育てた。           
 一男さんも塁君の野球の相手をしたりして、二人にとって二世帯住宅での暮らしは、孫
との暮らしでもあった。孫のスケジュールをもとに生活のサイクルが回っていた。   
 一緒に住む事に決めた敏行さんは勤子さんに「わっかには感謝してるよ、わっかのおか
げでみんなが和気あいあいで暮らせたからね・・」と言ったことがある。勤子さんもそう
思った。                                    

 3月11日、大きな地震だった。一男さんとシゲヨさんは家の塀が隣の家に倒れてしま
ったのを片付けようとしていた。近所の人が「そんな事をしないで、早く逃げろ」と言っ
て、車で子供を助けに走って行った。その後も二人はまだ家にいた。         
 あとで二人を見たという人がいた。シゲヨさんは庭で隣の人と、お互いの被害状況を比
べ合っていたという。一男さんは家の中にいた。その人も「そんな事やってないで、逃げ
ない!」と叫んだという。                            

 家は川のすぐ近くだった。そこに想像を絶する津波が襲った。川沿いには鉄砲水のよう
な津波が来た。あっという間に、家も車も何もかも流された。            

 一男さんが発見されたのは高田小学校だった。そこは津波が渦を巻いていたところだっ
た。たぶん、家と一緒に流されたのだろうと勤子さんは言う。            
 一方、シゲヨさんの行方は知れない。川を襲った鉄砲水のような津波が引き波となって
、海に流されたのではないかと勤子さんは思っている。               
 「おばあちゃんは、新しく買った車をすごく気にしていたので、たぶん車を守ろうとし
て車の近くにいたんじゃないかって思うんですよ・・・」息子の敏行さんがスポーツ少年
団の野球で、孫たちを乗せる為に買った車だった。納車されたばかりだった。津波は何も
かも流してしまった。                              

 勤子さんは探しに探したが、行方は知れない。                  
 まだ、一男さんが見つかる前だった、勤子さんは何度もおじいちゃんとおばあちゃんの
夢を見た。二人はニコニコ笑いながら、いつもの家で普通に暮らしていた。      
「なんでこんなに探しているのに、生きてるなら会いに来てよ!」叫んだ自分の声で目が
覚めた。「見つけて欲しかったんだよね、きっと・・・」              

 「わっかの花嫁姿を見たかったろうに、きっと三人で上からこっちを見てるんだよね・
・」天国で、いつも見てるよって言ってるような気がする。             

 勤子さんにおくる、一緒に暮らしたおじいちゃん、おばあちゃんの記録。      
 一男さんとシゲヨさんのご冥福をお祈りいたします。               



6月14日の面影画は佐々木勤子(いそこ)さん。                 

 前回、ご主人を描かせていただいた方。今回は、同居していた義理のお父さんとお母さ
んを描かせていただいた。                            

 一回の津波で家族三人の命が奪われてしまった。その痛みは計り知れないほど大きい。
勤子さんは今日で職場を退職し、盛岡に行く。子供二人と実家に戻り、新しい生活をスタ
ートさせる。                                  
 失ったものは本当に大きいけれど、子供たちの為に前を向かなければならない。   
 お母さん、がんばってください。応援しています。                

 面影画が、新しいスタートに少しでも背中を押すことができるのなら嬉しい。    

トマトの鉢には名札が付いていて、持ち主が管理している。 今日で職場を退職して盛岡に行くという勤子さん。