面影画1


はじめに



面影画ボランティアを終えて                           

 東日本大震災が起きてそれまでの日常がガラリと変わった。平成二十三年三月十一日、
この日を絶対に忘れる事はない。未曾有の大震災だった。日本中の人が「自分に出来るこ
とは何か・・・」と考えた震災後だった。                     

 自分に出来ることを問いかけ、答えを見つけ、計画をし、実行する。一連の流れが自然
に行えたのも「自分に出来ることをやろう!」という日本全体の大きな流れがあったから
だと思う。                                   
 自分に出来ることは絵を描くこと。絵が必要な人は絶対にいる。絵には人を救う力があ
る。そんな強い信念から始まったボランティア活動だった。困難な状況もあったが、満足
できる形で終了することができた。                        

 震災後の報道を連日見ていて、被災者何千人、行方不明者何千人という言葉に違和感を
感じるようになり、それが徐々に大きくなっていった。自分の中に芽生えた感情は「何千
人ではないだろう、ひとりひとりだろう・・」というものだった。          
 一括りにして良いものと悪いものがある。これは一括りにしてはいけないものだ。そう
いう思いだった。                                
 亡くなった方ひとりひとりに人生があり、残された大勢の人が悲しみを背負っている。
そういう前提で報道がなされなければならないはずだ。大きな震災ゆえに被害を数字でこ
とさら大きく喧伝する。すると、その裏にひとりひとりの悲しみは隠されてしまう。  

 ひとりひとりの話を聞き、ひとりひとりの面影を絵に残す。            

 この活動は大震災の大きさからすれば、本当に重箱の隅をつつくような活動だった。そ
して、継続するにはひとりひとりの重い話と真摯に向き合う力が必要だった。重い話を正
面から受け止め、納得するまで話を聞くことが求められた。             
 私にその力を与えてくれたのはひとりひとりの感謝の言葉であり、感謝の笑顔だった。

 面影画という絵を描いて「絵の力」を再認識することができた。写真ではなく、絵でな
ければ出せない力。そんな力があることに気づかせてくれたのも面影画だった。    

 九月二十日に面影画ボランティアを終え、その後に出版の準備が始まった。当初断って
いた出版も、現地の人に求められ、残された人の為に作ろうと頑張った。       
 二月末、ひとりひとりに本を送り、私の仕事は終わった。そして、その後は友人となっ
た高田の人々との交流が続いた。電話や手紙、そして現地で話したこともあった。   
 折に触れて言われたこと。それはこの震災で起きた事を風化させたくないということ。

 今までブログの中に収められてしまっていた絵や記事や写真を、改めて「面影画」とし
てホームページに収録し、自分の中で風化しないようにしようとこのページを作った。 

 震災の後遺症は大きい。町の復興はまだまだ先になる。ましてや心の傷は消える事はな
い。面影画で出会った全ての人の思いをここで伝えたい。