瀬音の森日記 185


5月のコナラ林再生ボランティア



2001. 5. 6


5月6日(日)所沢下富のコナラ林再生ボランティアの日だ。少し早めに行って周辺
で野草の写真を撮ろうと思って出かけた。ところが時期が遅かったのか、花がまった
く咲いていなかった。せっかくカメラを持って勇んできたのに、これにはガッカリだ
った。しばらくすると平川さんがやってきた。さすがに平川さんも来るのが早い。 

里美村で始まった森作りの話などをしながら歩いていたら、筍が出ているのを発見し
た。孟宗竹林があるので、その筍らしい。よく見るとあちらこちらに顔を出している
ではないか。多分この筍は今日のお土産になるに違いない。           

二人でチェーンソーを持ち出して点検と整備をする。この場所以外に整備する場所が
出来て、そこが倍くらいの広さがあるとのことで、伐採が多くなるからしっかりとチ
ェーンソーの整備をしておいた方がいいとのこと。あわててソーチェーンの目立てを
した。ガソリンやオイルの点検もした。                    

10時には参加者が集まってきた。新人も含めて15人とかなり大勢での作業になり
そうだ。準備体操をしてから、作業の説明が始まった。今日は枯れたアカマツの伐採
と、新しい敷地での植物同定と伐採作業、そして草刈り作業をすることになった。私
は何人かの人と新しい敷地での伐採作業をすることになった。          

エゴノキとヒノキを主に伐採するのだが、ヤマウルシの幼木が沢山あるのでかぶれな
いように先に伐採する。まだ手の入っていない森は鬱蒼としていて、いかにも不健康
だ。コナラ林として再生するのにいったい何年かかるだろうか。         

まず、コナラの母樹を残して林床を明るくする。種が飛び、実生が生える。実生が成
長し稚樹が育つ。稚樹が若木となり、日を浴びてすくすく育つ。そしてコナラが林冠
を形成する。その間稚樹を守るために下刈りをする。5年かかるか10年かかるのか

手を入れないで放置することが自然に還る事だという人がいる。自然とは何だろう。
人間と関わりのない自然はすでにあり得ない。まして里山は人の手が入っているから
こそ保たれてきた自然なのだ。2000有余年、人が手を入れ続けてきたのが里山な
のだ。その間に形成された自然環境は多くの生物を育んできた。放置して荒廃させる
事でその多くの生物の生息環境を奪う。言葉を換えれば放置することが多くの生物を
絶滅へと追いやることになる。                        

微力ではあるが、里山を復活させることは生物多様性を維持することにつながると信
じている。放置することが自然の回復だという幻想はそろそろお終いにしたいものだ
それは何もしないという事を美化しているに過ぎない方便だ。里山に限らず、我々の
周囲の自然は、人が手を加えなければ健全に維持できるものではない。      

昼食は全員で輪になってにぎやかに食べる。この時間がじつに楽しい。いろいろな情
報や消息が伝えられて勉強になる。それぞれの人が何らかの活動をしている訳で、興
味深い話を聞くことが多い。私もこのごろ瀬音の森について質問されることが多くな
ってきた。山で撮った写真などを見ながら簡易同定教室が始まるのもこの時だ。知ら
ないことが多いなあ・・と実感するのもこんな時だ。              

午後も同じメンバーで伐採作業を続ける。5月ともなると冬の作業と違ってとにかく
暑い。この日は特に良い天気で暑く、鋸を引くのも玉切りするのも枝払いをするのも
汗だくになる。たまに風が吹くのだが、鬱蒼とした森はその風をも遮断してしまうよ
うだ。こういう日は体力を消耗する。作業が終わって家に帰り、ビールを飲む姿を想
像しながら頑張っていた。                          

コナラ林再生は着々と・・・あとはまた明日から。