木曽路はすべて雨の中

清石さんと行く木曽の基礎講座入門編

木曽路はすべて雨の中だった。                       

朝から雨が降っていた。杉浦清石さんと待ち合わせた時間は朝の5時だった。早く
着いたので、杉浦さんの家の近くのコンビニでサンドイッチを買って食べた。雨の
日のサンドイッチはパンまで湿っているような気がする。空は明るくなったが雲は
厚い。                                  

時間になったので電話したら、清石さんはすぐに出てきてくれた。近くの駐車場に
止めてある車の中に道具が積み込んであるとのことで、そこに行き雨の中で道具の
積み変えをする。二人を乗せた車は中央高速の調布インターへ向かう。朝早いせい
か車はすいていて、スムーズに高速に乗ることが出来た。           

高速道路もすいている。雨の為50km/hにスピード制限されているが、120km/h
で快調に走る … 左にビール工場、右に競馬場。中央フリーウェイの歌詞そのまま
の高速道路を走るのはずいぶん久しぶりだ。これでとなりが若い女性ならば最高な
のだが、人生はままならまい。となりに座っているのは人生の大先輩、瀬音会議室
で「老師」と呼ばれている人物なのだ。失礼な事を考えてはいけない。     

塩尻で高速を降り、車は一路木曽街道へ向かう。山が近づいてくる。その昔島崎藤
村が「木曽路はすべて山の中である。」と言った、あの山である。そしてその山の
ふところ深く、「たなびら」と呼ばれる朱点の鮮やかなアマゴとオレンジの濃いヤ
マトイワナ特有の顔を持つ「木曽岩魚」がジッと身を潜めている。       

「これより木曽路の碑」を過ぎ、車は木曽路に入る。にえかわ宿、奈良井宿と行く
にしたがって山が狭まり風情のある宿場町らしいたたずまいを見せてくれる。雨に
濡れた屋根瓦が山の緑を映している。山の新緑はまだ萌えだしたばかりの緑で、雨
に濡れて美しい。木曽の山ということで桧の山を連想していたが、広葉樹と針葉樹
   の混じったモザイク模様の美しい山並が続いている。東京より1ヶ月遅いくらいの
  鮮やかな新緑だ。                             

清石さんが車の中で木曽路の解説をしてくれる。川の名前が続々に出てくるが、私
は地図を見ないとまったく分からない。何せ、木曽に来たのは初めてなのだから…
薮原宿で右折、新しくダムが出来たという味噌川を右に見て昨年OLMを開催したあ
の奈川村に抜ける道(県道26号)に入る。道路の横を笹川が流れている…水色は良
い。                                   

焼肉屋さんで日釣り券(1、000円:木曽漁協)を買い、着替えて川を見る。橋の上
から見る限りでは釣れそうだ。ムズムズしてくる。道路から川に降りる清石さんに
続く。清石さんは下流へ。私は上流へと分かれる。しばらく準備をしながら清石さ
んを見ていると、増水している川を苦もなく渡っていく!スゴイものだ。    

しばらく川原の芦にフライをひっかけたりしながら釣り上がる。広いプールになっ
ているところの護岸沿いに、黒のパラシュートフライを流す。ピックアップ寸前に
ギラリと魚が反転!あわててアワセると、竿に確かな魚信が伝わってくる。ライン
をたぐると、20cmくらいの岩魚がキョトンとした顔で上がってきた。     

よしよし、レビュー3番第一号は20cmの岩魚でした。写真を撮ってリリースし、
清石さんの方へ行く。見ると何やら手まねきしている。急いで行くとすぐそこの落
   ち込みで一尾かけたとのこと、さすがにすばやい。その後反応がなくなったので、
川から上がり車に戻る。雨が降り続いているのでそう長い時間外にいられない。満
開の山吹が雨に打たれながらゆれている。ああ、釣った後の気分は良いものだ。木
曽は暖かく初見参のフライマンを受け入れてくれたのだった。         

車に乗った二人は次なる目的地、木曽駒高原を目指す。木曽水産試験場があるとい
う事なので、行ってみる事にしたのだ。車は木曽街道原野を左折し、別荘地帯を抜
   け、木曽駒高原スキー場を目指す。水試があるなら看板が出ているだろうと思って
   いたのだが、何を間違ったか場所が分からない。スキー場下の正沢川の景観とヤシ
オツツジの群落、大エンテイなどをカメラに収め山を下った。こういう寄り道もい
いものだ。清石さんは庄川の流れを見て、「いい川だよねえ。エサ釣り師には最高
の川だよね。」と無邪気にはしゃいでいた。                 

そして木曽福島をR357に右折し、「開田高原」へと向かう。道沿いの川にも釣師
を多く見かける。清石さんの話だと、渓流特設釣り場の下の方が良いらしい。釣師
はしっかり言った通りのところに入っている。皆、良く知っている。      

新地蔵トンネルを抜けると開田高原だ。山の緑が一段と薄くなる。芽が出たばかり
の色に変わっている。白樺林の白が目にまぶしい。雨にしっとり濡れた高原は見て
いるだけで豊かな気持ちになる。                      

開田村郷土館の近く、「信州霧しな」という店で信州そばを食べる。一番の客だっ
たせいか、そば雑炊を一杯いただく。そばよりこちらの方がおいしかった。外はあ
い変わらず雨が降っている。                        

末川、髭沢川、把之沢川、と西野川の支流を渡り、それぞれの川の解説を聞きなが
ら目的地の冷川に着く。橋の上から眺めると、まったく濁りのないきれいな水が大
きな岩の間を落ち着きのある流れを見せている。               

支度して川に下りる。二人ともカメラを濡らさないよう気を使いながらの釣り。清
石さんが右岸を、私は左岸を釣り下る。フライはうまく振れるのだが反応はない。
しばらく二人で攻めたが、反応がないので上がることにする。なぜかおあつらえ向
きに踏み跡から木道、山道へと続いていて、難なく車に戻れた。魚の反応はなかっ
たが、きれいな川に満足。釣りをしている清石さんの写真も撮れたし、満足満足。

冷川を後にした我々は、この開田高原で魚の養殖をしているヤマメ荘に向かった。
「荒川系渓流保存会」の活動に何かの参考になれば、と清石さんが探しておいてく
れたのだ。                                

コークスの燃える暖かい炉の前で、ヤマメ荘の桑原のおばちゃんはニコニコと迎え
てくれた。清石さんも20年ぶりだと言う。3年前に亡くなったというおじちゃんの
話、ヤマメ、アマゴの養殖が大変で、今は全て岩魚に変えてしまったという話。都
会の人のマナーの悪さ、特に山菜を獲りに来る人のマナーの悪さを嘆くおばちゃん
の話にうなずきながら、あたたかいお茶をいただく。都会の人間として耳が痛い、
胸が痛い。                                

今では山菜獲りのツアーがあるのだそうだ。大型バスで来て、持ち主にことわらず
山菜を獲り尽くしていくという。考えられない事だが現実だそうだ。昨年初めて入
山禁止という事になったそうな…悲しいことだ。牧草地をただの野原とカン違いし
て車で乗り入れ、堂々とワラビを獲っていく人達。自分ひとりくらいならと言って
ききょうを根から掘っていく人達。何かが狂ってしまっているとしか思えない。 

そうこうしている内に息子さん(木曽水産の社長)が戻ってきた。突然の来訪者に
とまどったのか、最初は口が重かったのだが、そのうち熱心にヤマトイワナとニッ
コウイワナの養殖における違いなどを説明してくれた。我々が養殖、放流しようと
する「秩父岩魚」はいったいどちらなのだろうか?。             

養殖は圧倒的にニッコウイワナが楽なのだと言う。病気に強く育つのも早い。それ
に比べヤマトイワナ(木曽岩魚)の天然ものから採卵したものは、成魚になる率が
3パーセントしかないと言う。1万個の卵から300尾しか育たないというのだ。 
養殖用のエサを食べないのだと言う。だから漁協はニッコウイワナを養殖し、放流
しているのだ。そしてヤマトイワナはどんどん少なくなっていく。放流されたニッ
コウイワナは在来種とどんどん交配していくのだ。              

木曽漁協では今ヤマトイワナの養殖に力を入れていて、今後はヤマトイワナを放流
することにしているとのことだが、まだまだ技術的に問題は多い。秩父岩魚が残っ
ているうちに我々も急がなくてはならない。                 

ヤマメ荘を後にした我々は、開田高原に別れを告げ湯川、白川を見て、一気に木曽
福島に下る。途中、御嶽神社里宮を過ぎたところに「黒沢」の交差点。自分の名前
のついた土地に親近感を持ち、再度の来訪を里宮に誓って木曽を後にした。   

「木曽路はすべて雨の中だった。」                     

山里に明るい雨が降る一日、木曽路を走り抜けながらも山のみごとさ、川の美しさ
そしてあたたかい人情に触れることが出来た。桑原のおばちゃんが焼いてくれた2
尾の岩魚は、養殖ものだけどまぎれもない木曽の味だった。そして、くるまやで食
べたそばと天ぷらもまぎれもない木曽の味だった。              

杉浦清石さんの木曽の基礎講座「入門編」はとても充実していました。ありがとう
ございました。